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最終更新日11/30
うめちゃん |
「部屋の陰で・・・」 私の両親は広島に在住。そして私たち一家(主人、私、子供(当時7ヶ月)は横浜市 に在住。 両親が「車に乗って北陸・中部の方をまわる」(孫もいる年齢というのに元気な人た ちだ・・・) というので私たちも旅行をかねて名古屋の蒲郡でおちあうことに。 無事会うことができ、蒲郡のある旅館で一泊。(部屋はとなりどうし) そして朝のこと・・・。 子供を両親(つまり子供のおじいちゃん、おばあちゃん)の部屋に預け、 朝の支度をしていました。そこへ布団をたたみに旅館の従業員さん二人が部屋には いってきましたがちょうど私は歯磨きの真っ最中で声をかけることができません。 旦那も朝風呂かなにかで部屋にいない。しかも洗面所が部屋のかげになっていること もあって、むこうから私は見えなかったようです。 誰もいないとおもっているお二人は早速おはなしをはじめました。 「ここの部屋と隣の部屋の方、親子なんだって。しかも広島と横浜から車で来たみた いよ。」 「まあ、車で!すごいわねえ。あっそれじゃあ、隣にいたお子さん(先に両親の方の 部屋の布団をかたづけたらしい)は子供夫婦のお子さんなのねー。子供が小さいわり にひどく歳をくった両親だなあと思ったのよ。そうかあ、孫だったのね。」 吹き出しそうになりましたが、今更でていくわけにもいかない。 そうこうするうちにお二人が出ていき、両親に「さっきねえ・・・」と盗み聞き?し た会話を話すと、孫の頭をなでながら苦笑いしていました。でも孫と親子に間違われてまんざらでもなかったみたい。 でも「「ひどく歳をくった両親」っていうのはよけいよ!」・・・だそうです。 旅館従業員のみなさま、誰もいないのを確認しておしゃべりしましょうね。(^^) |
POOHさん |
「異国への旅」 日本本土の中で、一番南の国、鹿児島に生まれ育ち、旅行以外では他の土地には訪れ たことのない私にとって、旅に出るということは、外国はおろか、他の県ですら『異国 』への旅である。 独身の頃から、友人と2人で、恋人と、結婚後も夫と、様々な旅をしてきたが、私の 中では、21の時に1人で行った長崎への旅が、今でも忘れられない。 たった2泊3日の旅だったが、それまでの私にとって、長崎までの往復の足やホテル を手配し、3日間の予定を立てる、ということは大きな冒険に思えた。 1日目。鹿児島・串木野港から、高速船で長崎へ。30分後には、船に乗ったことを 後悔する。外海に出るとかなりの揺れで、座っていられない程酔ってしまう。係の人に 、物置みたいな救護室に連れていってもらったが、しょっぱなから旅行中は1人なんだ と実感。 ホテルに着く。当時勤めていたホテルの旅行代理店で勧められ、2泊予約をとってい たのだが、思っていたより古い感じで、違和感を感じた。 とりあえずは外出することにして、ガイドブックを片手に路面電車に乗った。長崎の 電車は安い!1回100円である(当時)。電車で行けそうなところは片っ端から見て 廻り、一通りの観光は済ませた。 次は、今回の旅の最大の目的である、雑貨屋廻り。1日目はガイドブックにも載って いる有名所だけ訪ね、通りがかりの喫茶店で夕食を済ませ、ホテルへ戻る。 2日目。中日の今日は、長崎の繁華街を思いつくまま歩いて、雑貨屋を見つけること にした。途中本屋に立ち寄り、別のガイドブックを立ち読みしていると、1軒のホテル の広告が目についた。住所を見ると、現在地から歩いて5分位のところだ。『ザ・ハミ ルトン長崎』。名前にも、なんとなく惹かれた。 ものは試し。行ってみることにした。外観は思っていたよりもあっさりしていて、ビ ジネスホテルみたいだった。2Fにあるフロントへ行き、空室があるのを確認。フロン トの人の感じがよかったので、泊まることにして、1泊目のホテルにキャンセルの電話 を入れる。 チェックインすると、こじんまりしているけれど、ダブルベッドを使って いるので、窮屈には感じない、正に私好みの部屋!カウンターバーがあって、家具とか 雰囲気もシック。広告を見た時の直感ははずれてなかった。 3日目の朝。朝食券を持って、ダイニングルーム(間違っても、“朝食会場”ではな い!)へ行くと、重厚な造りの家具や、その雰囲気を壊さない静かな音楽。コンチネン タル・ブレックファーストという感じの内容で、食事もイメージ通り。(私の中では、 イギリスのプチホテルにいるつもり) この長崎への旅が、7年たった今でもこれだけ鮮明に記憶に残っているのは、ハミル トンのダイニングルームのおかげ、といっても過言ではない。あまりに強烈すぎて、鹿 児島の仕事場であるホテルへ戻ると、現実的すぎてがっくりした。なまじホテルの現場 を知っているだけに、旅先のホテルまで、それが見え隠れするとつまらない。“非現実 ”という意味では、この旅は完璧だった。(船酔いを除いては・・・) あんなに強烈に感激したのは、多分、1人旅だったからだろう。誰かと2人で、とか 、現在のように子供がいて家族で行ったとしたら、きっと普通の旅に終わっていた。ス ポンジのように全てを吸収できるあの頃の1人旅。年を重ねていって、また別の感じ方 ができる頃になったら、また『異国』への非現実的な旅に出てみたい。 |